多くの人がそれぞれの言葉で、多くの事を言うだろう。
それはそれぞれが見た真実の姿である。
その真偽の是非を問う事はおろかな事である。
あなた方は、ただあなた方の感じたままの事から教訓を得ればいい。
正しい事は何か、反省すべきことは何か、するべきことは何か、出来る事は何か、
それは、あなた方一人ひとりが考え、実行すればいいだけのこと。
絶対的に正しい、という保障は存在しない。
それを求めれば、あなた方は純粋な愛の気持ちで差し出した手を、ひっこめてしまうだろう。
あなた方が差し伸べる手が愛の名のもとに行われるものであるなら、
それは全て善行であり誇れるものである。
そしてそれこそが、あなた方の求める保障なのだろう。
あの日を境に、生きる事についてあなた方は多くの時間を費やして考えたことだろう。
自分にできる事を考え、他者のためにできる事を探し、多くの事に目を向けてきた。
その中で、大半の人は己の無力さに打ちひしがれたのだろう。
しかし、あなた方は本当に無力な存在なのだろうか。
他者に差し伸べられる、あなたにしかできない手を、あなた方は持っている。
祈ることしかできない、のではなく、祈ることはできる。
それがどんなに大きな力を生み出すのか、あなた方は知るべきだろう。
三年と言う時間が長いのか短いのかは、あなた方の尺度によるもの。
しかし、思いや祈りは、時間を超えてあの日のあの瞬間から作用し始める。
未だに、多くの人があの日の記憶で傷つき、苦しんでいる。
彼らにあなた方が差し伸べられる手はどんなものだろうか。
わたし達はあなた方に問う。
あの日にあなた方が体験したことを通じて、この先、あなたは何をするのか。
そして、わたしたちはあなた方に囁き続ける。
あなたを含めた多くの傷ついた魂のために、安らかな光を意図せんことを。
(四大天使より)
あの日から3年経ちました。
わたしは神奈川に住んでいますが、あの日の事は忘れることができません。
感じたことのない揺れに、犬と次女を抱きしめて、テレビの報道を必死に見ていたこと。
津波の中継、飲みこまれる家や田畑、車、屋根の上に非難した人影。
全て焼き付いています。
今日はそれぞれに想う事があり、それぞれに想いを馳せる日となるでしょう。
書きたい事があるはずなのに、今はうまく書けない。
想いが上回ると、わたしたちは何も言えなくなるのでしょう。
震災が原因で亡くなった方々の冥福をお祈りいたします。
また、
今もなお震災の記憶で苦しんでおられる多くの方々に、少しでも多くの光が降り注ぎますように。
陽光のように、月光のように。
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